朗読劇『花、太陽、雨』前編

こちらは5/18開催のキャラフレ内皐月祭ステージイベントにおいて、男装アイドル「doubt」のトーク&朗読劇で使用した台本を物語として読みやすく編集したものとなります。その為一部表現等が実際のイベント時と異なりますがご了承下さい。

※   ※   ※

これは、雨の降りしきる遠い春の日。

ある大切なものを失ったひとりの少女が流した
涙の一滴のなかにあった小さな、小さな世界の物語。

小さな世界には小さな古城があり、ひとりきりの姫君が暮らしていた。
彼女は誰と語らうこともなく、誰からも顧みられることもなかった。

姫君にもかかわらず彼女の身の回りの世話をする者ひとりそのお城にはいなかった。
それ故ドレスは痛み、髪はほつれ、身なりはとてもみすぼらしい。
けれどもその立ち居振る舞いに気品を宿した姫君はただひとり、
永遠とも思える日々を過ごしていた。

とある夜、扉を叩く力強い音がお城のなかに響き渡った。
その音に姫君は怯えたが、いつまで経っても止む気配も無い。
仕方なく姫君は勇気を振り絞って、お城の扉へと向かった。

姫君が扉に近づくと同時に、響き渡るノックの音はぴたりと止んだ。
静まり返った扉の向こうから、

『ごめんください……ごめんください……』

しわがれた、弱弱しい声がした。

『私は旅の者。外は酷い雨と雷。
どうか一夜の宿を、与えてはいただけないでしょうか……』

哀願する声に姫君は戸惑いながら扉を開けた。
降りしきる雨の中、みすぼらしい老婆の姿がそこにはあった。
姫君は驚いて、しかし哀れな老婆を城内へ招き入れた。

姫君は暗い城内をカンテラ片手に、老婆を食卓へと案内した。

……このお城には何もないけれど、

……せめておもてなしをさせて下さい

うっすらと埃のかかったテーブルには、干からびて味のわからないパン、冷めきって具材もわからないシチュー、今にも溶けそうなふやけた野菜のサラダ、いずれも料理と呼ぶことさえ憚られるメニューがぽつん、ぽつんと並んでいた。

老婆は、これを誰が作ったのかと尋ねた。
姫君は、知らない、とだけ答えた。
毎日決まった時間になるとどこからともなく並べられていて、
姫君はひとりきり、このような粗末な食事を摂ることで
日々を飢えずに凌いでいるのだと。

老婆は驚き、そして嘆きの声を上げた。

『――これでは姫どころか、罪人の食事ではないか!』

老婆は懐から、一輪の薔薇を取り出しテーブルの小さな花瓶にそれを挿した。

すると、どうだろう!
暗闇のなかにあった食卓は、頭上の埃まみれになっていたはずのシャンデリアに華やかに彩られ、暖かな空気が辺りに漂い出した。

仄かに立ち込めるハーブの香り、眩しいくらいに白い皿にはこんがりと焼けた肉料理。
彩り鮮やかな野菜の数々、一口すするだけで甘味の広がるスープ。
姫君が見たこともないような豪華な食事が、そこにはあった。

何より姫君のドレスはガラス細工のような輝きを放ち、
髪は長年丁寧に手入れをされたように美しく束ねられていた。

老婆が遠慮なく料理を口にするので、姫君も内心はしたない、と思いながらぎこちなく、けれどその味を堪能した。食後には果実酒さえ味わった。

……あなたは、魔法使いなの?

初めて味わった満足感のなか、姫君は書斎にあった物語を思い浮かべながら尋ねた。
老婆は笑いながらもその質問には答えず、逆に姫君に名を問うた。

ところが姫君は、急に悲しげな顔をして首を横に振る。

……わからない、知らない……

名前なんか、呼んでもらったことがない。

老婆はふむ、と考えた。

『……ならばそなたはこれより、フラウ・ローゼと名乗るが良い』

――薔薇のお嬢様――その名を、姫君は口にした。

『……しかしそれも、仮初めの名に過ぎぬ。そなたは、本当の名前を見つけなければ、思い出さねばならぬ。さもなくば、やがてそなたはそなたであることすら失う』

老婆は静かにそう告げたが、未だ幼い姫君にはその意味は理解できなかった。

床についたフラウ・ローゼは窓の向こうの月明りを眺めながら、
かつて自分がどこからどうやって、このお城に辿り着いたのかを思い出そうとした。
けれど、頭に浮かぶのはもやもやとした暗闇。
その中を雷のように走る一条の光。
誰かの悲鳴、驚き、悲しみ、怒り。
それが何なのかわからないまま、彼女はいつしか眠りについた。

その様子を見計らって、老婆は黒ずくめの――『神を僭称する者』へと姿を変え、
闇のなかへと消えた。

すっかり晴れ渡った翌朝、
フラウ・ローゼが目を覚ますと食卓にはやはり甘い香りの暖かなパンと
かぼちゃのスープが供されていた。

――あれは、夢では無かったの?

慌ててお城の中を、老婆の姿を求めて走り回った。
けれどどこを探しても、彼女を見つけることはできなかった。
かわりにフラウ・ローゼは今まで降りたことのない、地下へ続く階段を見つけた。

――もしかしたら、この先にいるのかもしれない――

そう思った彼女は、意を決して螺旋を描き続いてゆく階段を下りていった。

暗闇と黴の匂い、奥底から吹き付けてくる冷たい風。
自分の足音さえ怪物の唸り声に聞こえる。
ほんの身じろぎをした隙に階段を踏み外した姫君はそのまま足を滑らせ、
奈落の底へと飲み込まれていった。

どれくらいの時が過ぎただろう。
フラウ・ローゼは嗅いだことのない爽やかな匂いと共に目を覚ました。

それは、大地に茂る草の息吹。青空と眩しい太陽、吹き抜ける暖かな風――

――なぜそんなところに、私はいるのだろう?

草むらの向こうに、小さな花壇が見えた。
庭師らしい少年が水を撒いたり、鋏で雑草を刈り取ったりしていた。

姫君はそっと少年に近づき、語り掛けた。

……きれいな花ね

自分の仕事に夢中だった少年はその時初めて、フラウ・ローゼに気が付いた。
少年は、愛想無く姫君を一瞥するだけだった。

……なんて名前の花なの?

「――花は花さ、ひとつひとつに名前なんかない」

……そう……それじゃ、あなたの名前は? 私の名前は――

姫君が仮初めの名を名乗ろうとした瞬間、少年は強張った顔でその口を塞いだ。

「――言うなっ! ここで『名前』を名乗ったら――」

叫ぶ少年の顔は青ざめていた。
そのときフラウ・ローゼは只事ではない何かの気配を背中に感じた。

「お前の後ろに居る化け物に!――『名前』が欲しくてたまらない化け物に!」

姫君は振り返るが、そこには何者の姿も無い。
けれど少年は、彼女の手を掴んで駆け出した!

「食べられちまうんだよ!」

姿無き怪物の咆哮が、フラウ・ローゼの耳を裂くかのように響き渡った。

……なまえ?

……そんなもの、私だって持ってないのに!

小さな世界の小さなお城、その奥底には大きな空と大きな大地。
そして、大きな怪物が居た。

ここはどこなのだろう?

何故私はここにいるのだろう?

私の手を引く彼は、誰なのだろう?

様々な疑問と共に草木をすり抜け走る、フラウ・ローゼ。

『……そなたは、本当の名前を見つけなければ』

『……思い出さねばならぬ』

老婆の言葉が、耳にこだましていた……。

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