SNSやピクシブ、なろう等も含めて商業あるいは個人による映像、音楽、文章、絵画などなど創作物がこれだけ溢れている昨今、取捨選択も一苦労ですね。
皆が見てるから自分も見る、
友達が制作に関わってるから見る、
単純に自分の好みだから見る、
見てたら自分でもできそうだから次は作る側に回る……
何をもってそれら作品を受け入れるかは色々ですけど、受け入れない理由の一つとして目に付くのが「作ってる奴が気に入らないから」――最近、すごく気になります。
ようはメディアやネット上など、いわゆる「痛い」発言をしたり炎上案件を起こしたり、場合によっては反社会的行動を取るような人。
作品には作者の思想なり言動なりが陰に日向に反映されることは事実です。
どんなに優れた、面白い作品を作る人でも一度そういう目で見られるようになれば、以降その作り手から離れていく人がいるのも分かります。嫌いな人間がどれだけ名作と呼ばれるものを作りだしても絶対に『作品は作品、作者は作者と割り切って認められるべき』であるとも思いません。
でも、作者は自分を表に出すなとか、作品を好きなら作者を知るべきでは無いというのは極論過ぎだと思うのです。
ものを作ろうがそうでなかろうが良い人は良い人、悪い人は悪い人です。
それが創作者の立場になったとたん、口を噤んで黙って例えば萌えだけ供給していればいい、無駄口は叩くなということでしょうか。
ものを作る人はロボットですか?
私は浅井健一さんというアーティストが好きなのですが、彼と某音楽雑誌の間のトラブルなんかを知ってもそれを理由に作る楽曲まで否定することはしません(真相を当事者があやふやにしている所為もありますが)。
逆に某スクールアイドルアニメを作った監督が嫌いなのはたんにその能力が乏しいからで、客観的には痛い言動も少なくないですが正直そこはどうでもいいです。
情報が黙っていても洪水のように流れてくる時代、発言ひとつでマイナスイメージを付けることは不利益を被ることとセットで考えなければならないと思いますし、才能が強烈な個性を補って余りあるような受け入れられ方をする時代でもないことは承知しています。
ただ、同調圧力でつまらないものを賞賛させる空気や〇〇さんの作るものだから、と思考を停止させて作品を持ち上げるほうが長期的には文化の質を下げる気がします。
私は自分自身をわかってもらおうとかあまり考えず(だから塩対応とか言われるんですけどね笑)、作品にも基本的には直接的なメッセージを込めたりしませんが、作品の内容よりも作者の言動が重要視されるような流れがあるなら悲しいし、怖いと思っています。
そんなに、『ものを作る人』が嫌いですか?