やあ、目覚めは如何かな? プリンセス。
――ここは夢なのか、って?
その問は真でもあり、偽でもある。
人は「夢」という言葉を願望の象徴として使うだろう?
なりたい自分、行きたい場所、欲しいモノ……
だから「現実でないもの」という意味での夢、なら相応しくは無い。
――敢えて言うなら私、奏多の夢にきみを誘い込んだというべきか――
強引な誘いであることは否定しないが、
今日は私にこの世界の片隅をエスコートさせて欲しい。
ほんの少しだけ目を閉じたらまた開いて、私を見て――
ここは翔愛学園からほどなく近い場所に存在する教会。
近いといっても入り組んでいて少し迷いやすい場所だから、私から離れないで。
梅雨の谷間の澄み渡った空の下にはとても似合う場所だ。
中はこんな風になっているよ。今日は静かなものだが教会だし、
結婚式が行われることもある。
私も友人の式に参列したことがあるが、その時はとても華やかで賑わっていたよ。
「ジューンブライド」なんて言葉もあるけど、花嫁とはいつの時も幸せを約束されてこの場所に立つものさ。
勿論きみもいつの日か、ね。
祭壇そばの掲示板にはこの学園の仕来りとして、愛を誓い合った者同士がメッセージを書き込むことになっている。私も書き込んだことがあるか、って?
……おっと、他人の恋路に深入りすることはしないほうが良いよ。
祭壇の左右は客席になっているので結婚式のほかにも、
各種イベントに使うことができるよ。
私は、やらないけどね。
…………?
きみも、気づいてしまったかい?
この教会に今なお残された、微かな悲しみの影を。
大抵の人には感じ取れないのだけど、この場所に確実に残されている長く長く、
未だ癒されることのない痛みを。
きみは誰かに聞いたことは無いだろうか?
「様々な人の思いが集まってこの学園は育ち、姿を変える」と。
そこには必ずしも幸せな記憶ばかりではない、
辛いことや悲しいことも含まれているんだ。
そしてそれは彼女に限った事じゃない。
もしきみにもそんな思いをする事があったら、どうか少しだけでも私のことを思い出してくれると嬉しい。たとえ見えない所に居ても、私は君が笑顔でいることを望んでいるよ。
そして彼女にも、いつかその悲しみを癒してくれる大切な友と、
愛する人との約束が存在する。
でも、それは私じゃない。
――彼女の名はミヅキ。一途に人を想うことの苦しさと尊さを私に教えてくれた存在だ。
いつか、きみも再び彼女と出会うときが来るかもしれないね。
この街の見慣れた場所にも、きみの気づかない誰かの想いやささやかな夢、忘れられない痛みが残されているものなんだ。注意深く耳をそばだてて、意識を集中させて聞こえる誰かの声は、もしかしたらきみを呼ぶ私の声かもしれない。
そんなときはどうか夢に堕ちるように、水をたゆたうようにその心を預けて欲しい。
――またこの街の片隅で、きみを誘うことができる日を楽しみにしているよ。
それではおやすみなさい、プリンセス。
※この物語はフィクションです※