「そこまでするほどのこと」

steamサマーセールはまあ定番だけど「Life is strange」「斑鳩」「クロノトリガー」辺りがオススメです、こんにちは。

何か事を始めるには目標を定めることがあって(ないこともある)、それを高く設定するのか低く設定するのか、というお話です。
例えば「キャラフレでアイドルをやりたい」という目標があったとき、それでキャラフレ関係無いSNSや動画サイトなどを足掛かりに名前を売って幅広く知られていきたいのか、あるいはキャラフレ内友達の間でそれらしいごっこ遊びが出来れば満足なのか。

その目指すところが高ければ高いほど、しなければいけないこと、時にはしたくないことが増えてゆきます。気に入らない相手にも愛想よくしなければならず、SNSのFF数も常時気にしなければいけないでしょうしキャラフレでのイベント等の活動も機会があれば、などと悠長なことも言ってられません。

これに対してその都度、「そこまでするほどのことじゃない」というマジックワードがあります。

特別自分がすごい存在とか、多くの人に認知されたいといった欲求を持たず程々でいいから過剰な宣伝活動はしない、幅広く交流などする必要も無い。そうした消極的な姿勢を肯定するために、「そこまでするほどのことじゃない」という言葉は使われます。

裏を返せば多くの人と交流するのはかまってちゃんみたいで恥ずかしい、SNSなどで宣伝活動をするのはみっともない――そんな感情の発露でもあるのです。
むろん純粋に、程々で楽しめれば良いからそうした活動はしないという人も少なくありません。
ですがどうせやるのなら大きな所に目標を設定していることは、「そこまでする」必要があって、それは努力であり結果はその先についてくるものです。

別にキャラフレのアイドル活動に限らず小説や漫画、音楽等でポピュラリティの獲得を目指しているのなら、それが意にそぐわない(故意に売れ線、流行を意識した作風を取り入れるとか)行為であっても実践しなければならない、ということを最近とても感じる出来事がありました。実際幅広く受け入れられているものは単に宣伝上手とかいうだけでなく内容も受け手の共感或いは欲望の肯定をしっかり行っているのですから。

何かしら活動をしていて伸び悩みを感じている人は、自分のなかに「そこまでするほどのことじゃない」という防衛線を張っていないかどうか、確かめてみると新たな道が開けるかもしれません。

……私自身ですか?
そんな理想論よりも、したいこと作りたいものと、それを見てくれる方々に対して誠実でありさえすれば、幅広く受け入れられようとそうでなかろうと構いません。
「そこまでするほどのことじゃない」ことは最初からしないというか……(; ・`д・´)

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