小説:名付けることを許されなかった物語 1/2

「わが たし うつくしい と おもうはな と お まえ たがち おもう うつくしい はな が おなじ だと おもって いるのか。 はな がちが えば うつくしさ には うとえ しがた あるのだ。 しがた うでえ あっては ならない」
 少女は思いました。この人とは言語ではなく心が通じ合えない。女王もそれをわかっているから、感情の起伏をまったく表さず答えました。
 少女にとって女王の言葉は不思議なことに、どこか安心感をおぼえるものでした。なぜかはわかりません。どこか、王様を思わせる穏やかな口調だからなのかもしれません。そして、もう二度とあの威厳とやさしさを宿した笑みを見ることはできないだろうことも理解できました。見渡せば辺りにはいかつい兵隊たちの姿があるのですが、それらはまるで半透明のガラスの向こうの景色のようでした。背後では相変わらず、薔薇の園が見るも無残に燃え続けています。
「女王、私をどうするのですか?」そう口にだして尋ねました。
「なぜ おが まえ どうするか わが たし しらねば ならない? おの まえ なにを わが たし しると おもう」
 その言葉で少女は悟りました。王様もまた、女王の心を正しく知らなかったのだと。
 なぜ薔薇は、滅びてしまうのかを。

 それなりに長いこと継続している商業音楽シーンのほんの一場面、一時期を間違いなく席巻していた【アヴェンティヌス】に、苦栖璃(くすり)という人物が在籍していたことがある。ファッションモデルかと見紛う長身、痩身で感情の伺えない能面のような顔の半分ほどを黒髪で隠していたそのギタリストは、前時代的な反体制――と言っても学生が教師や親、せいぜい警察官に悪態をつく程度の、当時の【不良の音楽】だった――を、これまた緩いメロディラインに乗せていた【ギルティ】と名乗っていた自称ロックバンドの様相、音楽性、果ては名称までも一変させてしまった。
 苦栖璃がその特に光るものも無いB級バンドに加入した経緯はいまなお不明である。しかし当時のメンバーは苦栖璃によって提案されたカラーチェンジをほぼふたつ返事で承諾したという。何しろ当時商業ミュージシャンとしては鳴かず飛ばずで、ライブステージは地方の村祭り、ギャラは野菜などといったことが珍しく無かった彼らにとってそれは一種のギャンブルにも、一筋の蜘蛛の糸にも等しかった。
 ともあれ、それまでの欧米不良映画的ビジュアルと楽曲は封印され、替わりに苦栖璃の奏でた【奇跡の速弾き】と書き上げた陰鬱な歌詞はそれまでのシーンを激変させるほどの勢いでヒットし、瞬く間にアヴェンティヌスをその頂点にまで引き上げた。
 そんなアヴェンティヌスのナンバーのなかで、一曲だけいわゆる【未発表曲】がある。
 彼らの曲は苦栖璃が気まぐれに持ち込んだ詞を、他のメンバー全員による作曲、アレンジといった工程を経て作られていた。しかしその曲に限ってはメンバーの一人がふとした思い付きで作曲まで手がけてもらおう、と提案した。苦栖璃は相変わらず感情の宿らない瞳と抑揚の無い声でそれを承諾した。
 果たして数日後、【細雪】と題された歌詞を書き連ねたノートの一ページとカセットテープを手に現れた苦栖璃にメンバーは少なからず驚嘆した。
 チャイコフスキーの【くるみ割り人形】のアレンジと思しきイントロからそれまでのナンバーにはなかったほどの速いテンポで転調が続く。そこには苦栖璃自身による演奏と仮歌が乗せられていた。神業とも呼べる速弾きには既に慣らされたメンバーは辛うじてついていけるほどに成長していたものの、問題は歌のほうである。それまで活動を共にしていながらメンバーやスタッフの誰もが聞いたことのないような透明感のあるハイトーンで響き渡る声は、決して下手ではなかった正規のボーカルを軽く凌駕していた。
 さらに苦栖璃は、その【細雪】に限り自らがボーカルを務めることを主張した。割れ鍋に綴じ蓋などという古びた言葉を持ち出さなくとも、この世にはこれ以上は無いという組み合わせ、というものがいくつも存在する。文字通り魂を吐き出すかのような鬼気迫るボーカルを聴かされた後では、メンバーの誰一人として反論はできなかった。

 レコーディングはかつて無いほど順調に進んだ。苦栖璃の我が侭は許容範囲だったし、他メンバーもその演奏技術に順応しつつあった頃で、高いテンションで生み出されようとしていた【細雪】は当初新作アルバムの一曲としてリリースされる予定だったのが、スタッフの間で先行シングルのカップリング曲に収録することを論じられるほどになった。

 そして、苦栖璃は【アヴェンティヌス】を脱退した。

 レコーディングが大詰めにさしかかった、それこそ薄い灰色の空から雪のこぼれおちそうな冬の日。突然苦栖璃は演奏を投げ出して【細雪】をアルバムに収録するな、シングルカットなど論外だ――周りの人間が初めて耳にするような、はっきりした口調で言い放った。理由も何も告げず、ただ「そうしろ」と言われて話が解決するほどアヴェンティヌスに余裕は無く、当然周囲は反発した。苦栖璃もまた折れることなく、時に激しい言葉を交えて【細雪】のリリースを拒んだ。商業ラインにいるミュージシャンが個人の我が侭だけで曲を出したり引っ込めたりなどできるわけがない。結局後々に他のスタッフも含めて別席を設けることとなった。
 ところがその場に、苦栖璃は現れなかった。失踪したと判ったのはさらに時間を要した。連絡先の電話番号、住んでいたマンション、その他諸々の痕跡はわずか数日のうちに抹消されていて、まるで苦栖璃などという人間が初めから存在しなかったかのようだった。
事件性の有無は残された者だけでは判断できないが、あるいは失踪したメンバーをメインに据えた曲をそのままリリースするわけにはどちらにしろいかない。急遽楽曲のアレンジを大幅に変え、正規のボーカルが改めて歌い、タイトルすらも変えたまったく別の楽曲に仕上げた。
が、そのクオリティの落差は歴然としていてシングルカットはおろかアルバムへの収録をも見送られることとなった。
「初めから、こうするつもりだったのかもしれないな」メンバーの誰からともなく、そんなつぶやきが聞こえた。なんのために、などと聞き返すものもいなかった。日頃の苦栖璃の人となりを知っていれば、気に入らない曲をお蔵入りにするために失踪するくらいさもありなん、と納得できるからだ。
 アヴェンティヌスは苦栖璃の存在感と楽曲で瞬間的にシーンを席巻したバンドであり、その後の凋落も早かった。メンバーはその後二、三人が入れ替わり、バンドとしては新たなプロモーション戦略と称して子供向けアニメとコラボしてメンバー全員が声優として出演するなど迷走を繰り返し、音楽性の面でも似通った、あるいは超えているバンドが続々と現れていつしか彼らのことは誰も口にしなくなっていた。
 ほどなくアヴェンティヌスは解散に追い込まれることになるのだが、その数年後に心無いスタッフの一人が未発表の状態になっていた【細雪】の苦栖璃脱退直後のバージョンのマスターテープを盗み出したうえ、一部のファン向けに流出させていたことが明らかになった。したがって厳密には【細雪】は未発表曲とは呼べない。ただし聴こうと思えば完全にブラックな、非合法なやり方でしか叶わない。

 裏を返せば、手段さえ問わなければその失われた曲を聴くこと自体は難しくないのである。ところがある時、ネットオークションに【細雪】のオリジナルの歌唱版、すなわち苦栖璃自身が仮歌を入れたとされるマスターテープが出品された。その事態に一部の音楽マニアや業界関係者は色めき立ち、その真偽を、入手経路を、出品者の素性を論じ合った。
 結果七十五万円もの高値をつけて落札したのは業界内外で名の知れた音楽ライター、K氏だった。彼はアヴェンティヌスの現役時代、二度ばかり取材を行ったことがあった。一度は苦栖璃加入直前、泡沫のようにいついなくなってもおかしくない時代、二度目は脱退後しばらくしての、起死回生をかけた事実上のラストアルバム発売の直前。特別な思い入れは無かった。ただかかるバンドがこの国のシーンの変革に少なからず関わっているのは業界関係者なら認めざるを得ないし、製作者が謎の失踪を遂げたいわくつきの未発表曲であるならそれを種に本の一冊にでもなれば、程度の気まぐれだった。
 いっぽうでK氏には確信があった。テープを出品した人物はアヴェンティヌスをスターダムへと押し上げ、いつの間にか行方を消した苦栖璃本人、あるいはそれに近しい人間のはずだ。彼は落札するにあたり、素性を明かして出品者への取材を申し込んだ。もちろん、関係者の語る幻のアーティスト・苦栖璃像を白日のものとするためだ。
落札価格はそのギャランティ込み、との意図でもある。
 出品者=その段階で苦栖璃とある程度近しい関係にある、と自ら告白した相手はK氏の申し入れに対し三つ、条件を提示してきた。
 ひとつ、苦栖璃の過去を、特に【アヴェンティヌス】へ加入した経緯を聞かないこと。
 ひとつ、苦栖璃の現在を聞かないこと。
 ひとつ、出品者自身は商業音楽に明るくないので、シーンの動静などは聞かないこと。
 出品者は苦栖璃になりかわり、【細雪】という曲に責任を果たしたいのだと言う。K氏はその言葉を訝りながらも、出品に際しサンプル替わりにネット上にアップロードされたイントロのギターソロを愛用のノートパソコンでリピートしていた。【奇跡の速弾き】と当時称されたテクニックはそこに間違いなく宿っていた。

to be continued.

タイトルですが、別に没作品というわけではありません(苦笑)
初出は……確か、いつだったかの文芸部の会報に掲載したようなしなかったような、記憶が定かではないのですが興味のある方は探してみてください。
「アヴェンティヌス」というバンド名ですが、イタリア・ローマにある七つの丘のひとつで音が気に入ったので使いました。

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