小説:名付けることを許されなかった物語 2/2

前回のラブ〇イブ!

 品の良いアイボリーのスーツに身を包んだ、落ち着いた印象を受ける女性は自らを苦栖璃の姉であると明かした。K氏が取材を行うときに利用するのは知人の経営するスタジオの一室である。初春の柔らかな陽光がそそぐ窓辺に席を取り、ぼんやりと外を眺める様子は映画女優さながらの立ち居振る舞いだった。
 彼女自身は、海外のコラムや児童文学の翻訳を仕事にしているとのことで、K氏とは近い業種にあたる。しかし名刺を交換しようとして手持ちを切らしていると言われた時、K氏はやはり違和感を覚えた。名刺を持ち歩かないフリーランスなどいるのだろうか。
しかし重要事はそこではなく、K氏は早速ですが、と前置きして今ではあまり使われないハンディのテープレコーダーをテーブルに差し出した。既に金は指定の口座へ振り込み済みだ。ハンドバッグの中から差し出されたテープは結構な年代物で、ラベルには某メーカーの昔のロゴが書かれている。
 彼はそれを、すぐ下のフロアであるスタジオに持って行きたい衝動に駆られた。確実にシーンに更なる変革をもたらしていたかもしれない曲。そういった衝撃に出会えるのは音楽を愛好している人間にとっては僥倖である。大金を払ったとはいえ、自分ひとりが所有するには勿体ないと感じる一方でそれが、決して世に出てはならない曲であることがより深い喜び、優越感をもたらす。その矛盾すら心地よい。さながらトリップのような倦怠感すら、聴き終えたときにはあった。珍しくは無いが、久々の感覚でもあった。

 3

「多分、復讐だと思います。あれの私に対する」
 いきなり物騒な言葉が飛び出してK氏は面食らった。
「あの曲、【細雪】の歌詞は私が書いたものです。正確には、もととなる物語を書いたのですが。今の仕事を始める、もうずっとずっと前のことです。その頃私は、仲間と共に作った文芸サークルにいて、いわゆる同人誌を発行していました。今読み返すには耐えない、稚拙な作品ばかりでしたが楽しんでいました。【細雪】はその頃書いた作品のひとつです。原稿もお持ちしました」
 学生時代まではよく見かけた四百字詰めの原稿用紙を受け取って、K氏はその中身をぱらぱらとめくる。
「交わらぬ美しい日々、儚さは零れては乾く涙のように……か」確かに随所に、歌詞と符合する描写が見えた。奥付を見るにいまから二十年ちかく前の、まさしくアヴェンティヌスが世間の注目を集め始めた頃に一致する。そしてこの頃のK氏は、まだ駆け出しの自称売文屋だった。
「あなたはこの小説をアレンジして、苦栖璃に提供したということですか」
「いえ、あれに自分の作品を見せたことはありません」歯切れが悪そうに、言葉を選ぶ。苦栖璃は何らかの形で原稿を見て、盗作した。そういうことなのだろうか。それが明るみに出たか、自分のプライドが許さなかったか。いずれにしろ案外シンプルな事実にK氏は内心落胆した。
「私は当時から、将来は出版に関わる仕事を目指していました。【細雪】もある会社に持ち込む原稿のつもりでした……ですが」その先は、業種こそ違えどK氏も一流に位置するライターだ。一読すればその商品価値くらいは理解できる。
「はい、自分でもわかってましたから、誰にもこの作品は見せないようにしていました。書いたものはいつもそうしてるように、机の引き出しに鍵をかけてしまっておいたんです。ですが……あれがあのようなことになって、それから最近人づてに聞いた【細雪】の話を聞いたら」
「待ってください、そもそも彼が失踪したとき、あなたは何をされていたんですか? ご家族は? 今にいたるまで見つからないんですか」
「それはお答えできない、と言ったはずです。ただ、私とあれに家族はありません。ともかく、そのあとで部屋の掃除をしているときに見つけたのがお渡ししたテープです。その内容と私の課した条件がご不満なら、今からでも受け取ったお金はお返しいたしますが」
「……失礼しました。こちらの不注意です、質問を変えさせて下さい。あなたは最初に、苦栖璃の復讐という言葉を使いました。しかしそれなら、むしろ盗作をとがめられ復讐されるのは彼自身ではありませんか?」
「そうではありません。【細雪】を世に出すことの出来なかったのは私にその力が無かったからです。ですが、あれはそれをしようとしました。できる力をもっていました。私にその力を見せ付けることで、私が私であることを否定したんです」
「それが、どうして復讐なのですか? 彼は彼、あなたはあなたでは?」
「なぜ、あれが【彼】であるとお考えですか? あれはバンドをしていた頃も素性を隠していたはずですけど? あれは、あれですよ」
 逆にK氏は、彼女が何故苦栖璃を執拗なまでに【あれ】と呼ぶのかを尋ねたかった。確かにK氏自身は、過去のインタビューの際でも苦栖璃には会っていない。それゆえ性別までは、改めて問われると確信を持てないのだ。
「【あれ】とは一体なんのことですか? 苦栖璃は」
「強いて言うなら、永遠に追いすがられて、追いかけなければいけない影のような存在でしょうか。今では人の書いた文章を読んで、私自身の意図も多少は入りますが……訳して、それが作品として世に流通する。正直私はその流れに飽きています。ですが私には作家たちのように、世間に訴えかけるメッセージやテーマなど何も無い。だからまた、他人の言葉に相乗りして、それに甘んじることをよしとしています。……いえ、私個人のことはどうでもいいですね。どうでもいいんですが、文筆に携わる身ですから、仰々しい思想や理念は無くても、ただ形あるものを作りたい思いはあるんです。ああ、ですからそんなお話はいいんですよね……。私はあれに、今でも嫉妬し続けてるんだと思います。見返す方法はありませんけど」

『希少性と汎用性を兼ね備えたものにこそ、人はより高い価値を感じるだろう。たとえばそれは石油、鉱物資源、肥沃な土地に恵まれた気候、それらを手に出来る権力。そんなものに比べれば、僕たちが名盤、プレミア盤などと呼んでありがたがっているものの数々が抱えている価値は、省みるまでもなく低い。しかし僕たちが石油よりも鉱物よりも権力よりも、秘匿された音楽やまだ知らない音楽に心を躍らせ、そのたびに感情を高ぶらせたりするのは何故だ? 優れた音楽もまた百人のリスナーに百通りの喜びを与えることは間違いない。それらは独占するために争うことも無いが、分かち合うこともできない。僕は思うんだ、音に限らず創作物で人はつながれない。けど、人は創作物によって自分の魂のありか、そう呼べるものを明らかにするんだと』
 
 K氏はそんな文章から、プライベートブログの更新を始めた。七十五万円という金額は、一円にもならないブログ一回分のネタには高額すぎる気もしたが仕方が無い。白々しく負け惜しみだと苦笑いする。結局のところ苦栖璃に復讐されるのも、するのも、そんな理由があるのも彼女本人だけだったということである。

   ―付記―

 螺子(ねじ)の国と、釘の国とがありました。
その隣り合っているふたつの国の間であるとき戦争が始まりました。銃弾が飛び交い長剣の乾いた鉄の音が響きあい、彼らはお互いにその数をすさまじい勢いで減らしていきました。街からは笑い声が消え野山は戦場となって踏み荒らされ、そのあとにはいたるところに錆びた鉄屑が打ち捨てられ、雨に混ざって川や海を濁してゆきました。
 そんな恐ろしいことがどうして始まったのかは誰に聞いてもわかりませんでした。
 そんな悲しいことがなぜ続くのか誰も考えようとはしませんでした。ただ、おとなはもちろんすでに背の曲がった老人や身体の伸びきっていないこどもさえも武器をとり戦うことをやめようとはしませんでした。
 やがて戦いは、次第に螺子の国が優勢になってゆきました。釘の国の砦はひとつまたひとつと攻め落とされ、いよいよ王宮に近い都市にまでその軍勢が迫るほどになりました。釘の王様はこの事態にひとりの少女を呼びつけました。少女は国のなかでもっとも足が速く、また長い距離を走るのを得意としていました。王様は少女に、国の最果てに咲く薔薇の花を一輪だけ持ってできるだけ遠くへ、遠くへ逃げろとだけ命令しました。少女はなぜそんなことを命令されるのか、尋ねました。薔薇の花は世界でも釘の国の南の果てにだけ咲く珍しいものであることは間違いありません。けれどこの国難を前に、それが一体何を意味するのか少女はわかりませんでした。
薔薇の花とはかつて釘の国王と螺子の国の女王がこの世にふたつとない、美しい植物を育てようと研究を重ね品種改良を繰り返し生み出した観賞用の花でした。太陽の輝きすら飲み込むほどの深い赤と立ち込める香りはほかに類をみないほどの美しさをもちながら、一方で人の手を加えすぎたことによる弱さ、もろさを抱えている儚い花でした。それゆえに薔薇の花は釘の国と螺子の国の環境でしか育たず、それを目当てに世界中から愛好家が両国に訪れる貴重な資源でした。ところが数年前から螺子の国ではすべての薔薇が枯れてしまい、釘の国から苗を分けてもらっても花を開かせることなく朽ちてしまうようになりました。
 螺子の女王はこれを釘の国の陰謀であると決めつけ、戦争を始めたのです。釘の国にある薔薇もまた、すべて枯れさせて二度と花開かぬ荒野にするために。
隠されていた事実を語った王様に少女は力強くうなずき、両親や友達との最後かもしれない別れに涙しながらも南の地へと向かうのでした。途中幾度か、釘と螺子との戦場にさしかかりましたが上手いこと身を隠し、持ち前の足の速さで駆け抜けていきました。
幾日かが過ぎて南の国境にさしかかったところで、少女は薔薇の園へたどり着きました。開花の季節には少し早かったこともあり満開の薔薇を目にすることはできませんでしたが、少女にとって目の前いっぱいに連なる赤のつぼみと柔らかな香りは、つかの間少女の心を癒すのでした。
 ふと目をやると、薔薇の園の衛兵たちが何事か話し合っていました。聞き耳を立てようと近づいたとたん激しい火薬の音がして、哀れな衛兵たちは大地に崩れ落ちました。反射的に身を翻し、その場から逃げ去ろうとする少女の背後から叫び声が聞こえました。
凛とした張りのある、そして有無を言わせない強い口調に思わず足を止めて振り返ります。瞬間、少女の目を絶望のカーテンが覆いました。
 なぜ、この人がここにいるのだろう。
 初対面のその人が、螺子の国の女王だと理解するのに時間はかかりませんでした。兵隊たちを従えて、冷たい瞳は少女を一瞥(いちべつ)します。が、すぐに興味をなくしたように背後の兵に何かを命令しました。
 少女の頭上を越えて、炎をまとった弓矢が放たれます。それは風も無いおだやかな空を焦がすかのように舞いあがり、薔薇の園に業火と不快な音を立ててはじける粉塵、そして先ほどまでの心地よい香りを息苦しい灰の匂いに変えてゆく黒煙が広がってゆきました。少女は薔薇のそばへ近づこうとするも、押し寄せる熱気に遮られ目に涙をためてゆきます。 膝から地面に崩れ落ち、視界が何を映しているのかもわからなくなり始めました。
そんな少女の手から、かろうじて王様の命に従って切り取っていた薔薇の一輪を奪うものがありました。螺子の女王は開きかけのそのつぼみを握りつぶすと、乱暴に燃え盛る火の中へと投げ入れたのでした。

 こうして、世界から薔薇の花は失われたのです。
たまらないのはその場に残された少女でした。真っ先に宿った悲しみ、次に怒り、そして憎しみ。心の奥底から染み渡り、広がるような恐怖をそれらで押さえつけながら叫んでいました。
「どうして、どうしてこんなひどいことをするの! 花を美しいと思う心は、あなたも私も変わらないはずなのに! 何が許せないの? 私? 薔薇の花? 戦ってしまった釘と螺子? 何もかもを燃やしてしまったあなた?」

 舞い散る火の粉は、冬の雪のように弾けては消えてゆきました。

-fin-

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